名前をつけることで存在する

私たちの周りにある全てのものには、人やモノや出来事にも、名前があります。
人間とか本とパンとか、名前がついてます。もし、名前がなかったら急いでつけようとするでしょう。COVID-19コロナウイルのように。

名前をつけましょう。

名前は存在そのものを表します。存在する権利みたいなものがあるのかもしれません。
それから名前は行動する規範にさえなる場合があります。男や女や、バズるとか受験とか。
どんなものにでも私たちは名前をつけています。

名前がなかったら、戦争も起こらないかも

若い頃読んだSFショートストリー。

ある日敵国が攻めてくる、という情報が入った。政府は慌てて軍備を整えようとするのだけれど、戦争やミサイルとか爆弾とか、そういう類の言葉が出てこない。だから軍隊に命令を出すこともできないため、軍備を整えることができなかった。

一方で敵国も同じ状況になっていた。双方の国のトップが今後の話し合いをするために会談をするのだが、やっぱり言葉が出てこない。攻めるも、爆撃も、ますます出てこない。

結局、お互いに歪み合うことができず、うまくやる方法を考えることになった。

多分 「星 新一著」

他愛のないショートストリーだけれど、とても示唆に富んでいて何十年たってもストーリーは覚えている。作家と題名が、はて・・・なんだけれど。

自分の状態を説明できる名前

私たちは言葉で考え言葉で意思決定をしています。感情は心の説明文なので、もやもやした感情があってそれをうまく言葉にできなかったら、自分はおかしい人なのではとさえ思ってしまいます。

例えば、ある人が恋人とお別れしたあと、胸が苦しくて、もやもやして落ち着かなくて困ってしまった。別れた恋人と会いたくなって家のそばまで行ってしまった。お別れしたのに自分はどうかしてしまったに違いないと思ったそうです。
でも、自分のそういう言動が「失恋である」と知って、納得したそうです。そういう状態に名前をつけることができたのですね。
その人は自分がおかしくなったんじゃなくて、失恋だから当たり前なんだ、と安心したそうです。

私たちはなんであれ、名前のつけられたものや出来事に安心したり納得したりします。名前があるということは私たちにとって当たり前で、共有できることだからですね。

神がアダムに命じたこと

聖書にはもっと積極的なお話が載っています。

創世記の第1章に神が世界を創造する箇所があります。神は「光あれ」と世界を作ったのち、大地や生き物や星や・・・を構築していきました。そして最後に人間を作りました。お話は続きます。

神は、地から野の獣と空の鳥をつくり人間のもとに連れて行った。人間がそのものをどのように呼ぶかを見たいと思われた。それは、その呼び方がそれらの名前となるはずであった。さて、人間はすべての家畜と、空の鳥と、野々獣に名前をつけた・・・・

創世記第2章

人間が読んだ呼び名がそれらの名前となりました。それ以来人間は世界中を探し名前のないものに名前をつけています。今日にいたってもですね。

名前をつけることは人間にとって、とても重要なことなのですね。名前をつけることでそこにそれがある、と認識するのです。認識したものはなんであれ、向き合い対話することとなります。

名前をつけるのは創造主になるようなもの

新発見の星に名前をつけること、新種の植物に名前をつけること、流行りの行動に名前をつけること、若い人たちが短縮したりして新しい言葉を作ること、新商品に名前をつけること。
行動や心を説明する言葉を探そうとすること、それから今年の流行語に人々が注目すること。とくに、子供の名前に親が一生懸命になること。

そのもの、そのことに名前をつけようとするのは、明確な意図があります。名前は意味と理由を明確にします。たしかにそれがあった、起こったということを確信させますね。

自分の心の中に一番残っている「こと」はなんでしょう。それを説明する名前を考えてみましょう。私たちは私たち自身の歴史の創造主です。自分自身の歴史に名前をつけることは自分にとっての意味と理由をつけることです。

自分自身の創造主になるために。